Picture Of World - 1

 僕はその頃、田舎町に引っ越したばかりだった。両親が念願だったという一戸建てだ。節約のために今まで狭い社宅で自分の部屋もないような状態だったから、初めのうちは学校が終わるとすぐに家に帰っては自分の部屋に入り、真新しい机に向かって何をするわけでもなくぼんやりしていた。
 だけどそれも一ヶ月もすると飽きてしまい、僕は町を散策するようになった。
 田舎といっても田畑だらけのド田舎ではなく、下町のように一戸建てが並んでいて、寂れた商店街があって、というようなところだ。それでも、昼も夜も分からないような東京でマンション暮らしをしていた僕には、そこは田舎と表現するような場所だった。
 散策といったけれど、当時小学生だった僕はそんな言葉を知らず、替わりに冒険と言っては、家にランドセルを置くとすぐに自転車に乗って細い道をくねくねと出鱈目に走った。
 真っ直ぐに進んでいるように見えて微妙にカーブしている道。気付けばもと来た所へ向かっている三叉路。僕は何度も迷子になってしまったけれど、それでも懲りることなく冒険を続けていた。

 そこは、ただでさえ古い町並みのなかで、それでも古いと思うような店だった。
 いや、初めは店かどうかも分からなかった。看板もなく、正面は総てガラス張りであるにもかかわらず薄暗い屋内。店だと分かったのは、入り口の前に小さな本棚があり、そこに『ここにある本一冊十円』と書かれていたからだった。
 今思うと、どうしてこの店の前で足を止めたのか、不思議に思う。
 いつものようなスピードでなくとも、徒歩ですら見逃してしまいそうな佇まいのその店に、だけど何故か僕の足は引き留められてしまっていた。
 お店だよな、と誰に言うわけでもなく呟きながら、屋内を探る。すると僅かに人影のようなものが見え、僕は恐る恐るではあったけど店内に入った。多分、冒険という言葉が僕の背中を後押ししていたように思う。
「いらっしゃい」
 音も立てずに扉を開けたにもかかわらず、奥に居た人影は僕を見ることもなくそう言った。その声はしわがれていて一瞬怯んだけれど、これくらいで逃げてちゃかっこ悪いぞ、と僕は自分に言い聞かせた。別に、店主以外誰が見ているわけでもないのだから、逃げ出してもそれが友達にバレるはずなどなかったのだけど。
 だからといって奥にいる店主への恐怖が消えたわけでもなく、僕は何かあったらいつでも逃げられるようにと扉と店主の位置を確認しながら店の中をゆっくりと見回った。
 そこは初めて見る、個人経営の古本屋だった。
 それまで僕が住んでいた場所の古本屋といえばチェーン店ばかりで、有線が流れていたり、女子高生が喋っていたりと騒がしいところというイメージがあったのだけど。ここはラジオも流れてなくて、他に客が居ないせいかとても静かだった。
 それと、少し埃っぽい。
 並んだ文庫はカバーが色褪せていたり、そもそもカバーすら付いていないものも在る。それと、漫画に関しては僕の知らないタイトルばかり。どれも紙が黄ばんでいる。
「ここには多分、ボクが欲しがるようなモンは置いちゃいないよ」
 本の奥付が自分の生まれる遥か以前であることに気を取られているうちに、いつの間に近づいたのか、店主が僕の隣に並んでいた。
 突然かけられた声とその近さに驚いたけれど、それがバレることが恥ずかしくて僕は何とか平静を装った。でも、その心配は無かったのかもしれない。隣に並んだ店主は腰が酷く曲がっていて、一体どうやって高い棚に本を詰めているのか分からないほど目線が低かった。
 そう。この店に入った時に奥に居た店主は僕を見ていなかったのではなく、見ていたのだけれど腰が曲がっていたので、僕が勝手に何かの作業をしているのだと思い込んだだけだったのだ。
「悪いねぇ。折角きてくれたのに。でも立ち読みは自由だから。まぁ、暇潰しにでも読んでいっておくれ」
 そう言うと店主は僅かに顔を持ち上げ、口の両端をクイッと曲げて笑った。声や来ているものでは分からなかったけど、その大きく弧を描いた唇に申し訳程度ではあるが紅が塗ってあったことで、僕は初めて店主が女性であることを知った。
「わたしが居たら邪魔だろう。奥に居るから、もし何か欲しいもんでもあったら声かけとくれ。間違っても無断で持ってっちゃいけないよ」
「そんなことしないよ」
 店主の言葉に思わず僕が反論をすると、店主は、それなら一安心だ、ともう一度笑って住居スペースになってるだろう奥の部屋へと引っ込んでいってしまった。
「さて、と」
 気持ちを切り替えるようにひとりごつ。何か最近の漫画が安く売ってれば、などと思って探してみたけれど、あるのはやっぱり黄ばんだ本ばかりで、なんだかつまらないなと思った。
 だけど一応見るだけはただだしと思い、一冊の漫画を手にとって中を見てみた。すると、絵柄に時代は感じるものの、書いてある内容は最近の漫画とそう大して変わらなかった。それどころか、科学が今のように発達していなかった時代に書かれただけあって、SF漫画は今では常識となっていることを無視した発想で未来や宇宙の話が書かれていた。
 案外昔のものも面白いんだな。そうは思ったけれど、他に誰も読まないだろうし、そんな話題にならないようなものは買っても無駄だろうと思い、僕はパラパラと読んではみたものの、その総てを元あった場所に戻していた。
 そして1時間掛けて店を一周し、入り口に戻ってきたとき。先には気付かなかった一枚の絵が、僕の視界に止まった。
 本棚の横にかけられた一枚の絵。それは大分昔に描かれたのだと素人の僕でも分かるほどにひび割れ色褪せていた。

 それが、僕と『彼女』との出会いだった。

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