リトル・エンジェル
「それ、なぁに?」
「ひみつぅ」


【リトル・エンジェル】


 黄色い帽子に水色のスモッグ。肩から斜めにかかっているのは、中央に猫のマスコットが描かれている赤い鞄。肩につくかつかないかのさらさらの髪を風になびかせながら、少女は調子の外れた童話を口遊んでいた。その両手には、少女の手には少し大きい、目に眩しい程に鮮やかな黄色いボールを大事そうに抱えて。
「それ、なぁに」
 少女が余りにも大切そうにそのボールを抱え、そして余りにも楽しそうに街を歩くものだから、少女と顔見知りの子供や親たちはどうしたのかと次々に質問した。
「んふふふふ」
 けれど少女は、子供独特の邪気の無い含み笑いを見せると、ちょっとだけ腕を前に出してボールを見せるだけで。ひみつぅ、と言ってはすぐに抱えるように自分の胸に引き寄せてしまうのだった。
「あたしにもさわらしてぇ」
「だめぇ」
「おばちゃんにちょっとだけそれ見せてくれないかなぁ」
「だめぇ」
 誰が頼んでも、どんな風に頼んでも、少女はそれを人に触らせようとはしなかった。
 辿り着いた公園の滑り台や砂場で遊ぶときは、赤い鞄の中に丁寧にボールを仕舞った。そして両手が開くと、鞄からボールを取り出し、また大切そうに抱えるのだった。

 ブランコを、漕ぐ。
 小さい体をバネのように目一杯曲げ伸ばしして、少女は高い風を体に浴びていた。勿論、傍らには赤いバッグがありその中には黄色いボールが入っている。
「あ」
 少女を乗せたブランコが、今出来る精一杯の高さに到達した時、少女は遠くにある何かを見つけて声を上げた。ザザァと派手な音を立てて、強引にブランコの勢いを落とす。
 半ば飛び降りるようにしてブランコから降りると、少女は鞄からボールを取り出し両手に大事そうに抱えた。そして、だめぇ、と呟くと覚束無い足取りで、空になった赤い鞄を揺らしながら、公園の外へと駆け出していった。

「けんか、だめぇ」
 肩を上下に揺らしながら、少女はそこに辿り着くと上がった息で叫んだ。けれど、少女の目に映る二人には勿論、その周囲で彼らを見守る人々にも少女の声は届いていなかった。
「神さま、怒ってる。わるいことをする人には、神さまのばちだよ」
 何度か大きく息を吐いて呼吸を鎮めると、少女は決心したようにギュと強くボールを握った。そしてその場にしゃがみこむと、がんばってね、とボールに呟き、名残を惜しむように息を吹きかけひと撫でした。
 黄色いボールを、手放す。少しだけ転がったボールは、けれどアスファルト凹凸に静かに止まった。
 少女はそれを見て頷くと、ばいばい、とボールに向かって小さく手を振った。
 立ち上がり、元来た道を歩く。調子の外れた童話を口遊みながら、時々ぎこちないスキップも踏んで。けれど公園には入らず、彼女はもっと先まで歩いた。そして少女が立ち止まった瞬間。
「何だ、今の音」
「爆弾テロか。あっちだ」
 ドンという音と地響き。それから、喧騒。
 少女は、ふぅ、と一仕事終えたかのように大袈裟に溜息を吐くと、空を仰いでにっこりと微笑んだ。
 それから少女は、自分の背後にある惨事を指差し好奇心に充ちた目で駆け出す人々を尻目に、晴れ晴れしい表情でスキップを踏んだ。


 そして、翌日。
 街や公園を歩く子供たちの手には、大切そうに鮮やかな原色のボールが抱えられて――。

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