Picture Of World - 2

 初めて彼女を見たとき、僕の胸は高鳴った。クラスではよく誰彼が好きだなんて話はしていたけど、そこで挙げた子と一緒に居る時とは比べ物にならないほどの緊張だった。
 目が離せなかった。どうして芸術なんてものに興味のない僕が、こんな古ぼけた絵に惹かれるのか分からなかった。
 いや、本当は分かっていた。
 夕日を背にして、何処か哀しげな影を落としながら、それでも倖せそうに微笑んでいる彼女に。僕は、一目ぼれをしてしまっていたのだ。

 それから何時間その絵を眺めていたのかは分からない。だけど、薄暗かった店内が明るくなったことで、外がもう暗くなる時間になっていたことにようやく気が付いた。
 そろそろ帰らないと親が心配するだろうと思い、僕は一応店主に声をかけた。店に長居をしていたせいか、いつの間にか店主への恐怖感はなくなっていた。
「欲しい本が見つかったのかい?」
「ううん。もう帰らなきゃと思って」
「それでわざわざ声をかけてくれたのかい。ありがとう」
「あ。そうだ」
 何も買っていかないのにもかかわらず礼を言われたことに気を良くした僕は、その絵を指差して、これ幾ら、と店主に聞いた。
「残念だけど、ボク。それは売り物じゃないんだ。でも気に入ったのなら幾らでも観に来るといい」
 売り物じゃないと言った時、店主の顔に少しだけ陰りが見えたような気がしたけれど、それは照明の具合のせいだろうと思い、僕は特に気にせずまた来ることを店主に告げ、その日は大人しく帰宅した。

 家に帰ると無性にあの絵が見たくなった。
 長い間見つめていたので、目を瞑って集中すれば何とか思い出せたけれど、細かいところまでがどうしても分からない。
 僕は自由帳を開くと、そこに拙い絵で覚えている範囲の、書き表せる範囲の彼女の絵を描いた。
 思えばこれが、僕が始めて彼女を描いた日だった。

 それから僕は殆ど毎日彼女に会いにその古本屋へ行った。
 店に客が居ることは殆どなく、居たとしても何かを買って帰るところで、僕が店に入る時には誰も居なくなっていた。
 そんなことが一年も続いた。店主によく飽きないねと言われたけれど、それは僕も疑問に思っていたことで、だけど不思議と飽きることが無かった。それどころか、その絵が欲しいという気持ちは増すばかりだった。
 家に帰って初めて描いた彼女の絵に、今日自分が覚えてきたことを重ねていく。鉛筆しか使ってないので背後にある綺麗な夕日は巧く描けなかった。
 そのうちに僕は彼女を写真に撮ろうと思った。店主に話すと、断られるかと思ったけれど、予想に反してあっさりと承諾してくれた。
 父親が持っていたインスタントカメラで撮ったそれは、少しピンボケしてしまっていたけれど、自分が鉛筆でせっせと描いた彼女よりは数段マシだった。

 そうこうしているうちに更に一年が経ち、僕は中学二年生になっていた。
 敬語を使うことを覚え、それまで友達に話すのと同じ言葉で話していた店主に少しずつ敬語を使うようになっていった。
 この頃には、僕は店主と少しずつ話すようになっていた。
 店主は絵を眺める僕を眺められる位置に椅子を置き、そこに身を沈めて売り物である本を読んだり、僕を見たりして、時々自分の昔話をしたり、僕の質問に答えたりした。
 その会話の中で彼女についての情報が少しだけだけれど分かってきた。
 彼女は実在する人物で、その絵が描かれたのは何十年も前だということ。彼女は店主の知り合いだったが、今はどうしているのか、生きているのか死んでいるのかさえわからないということ。そして彼女を描いたのは当時の彼女の婚約者だったということ。
 当時の、という言葉が引っ掛かったけれど。結局彼女は違う人と結婚したのだろうと僕は勝手に思った。だから自分の手元にこの絵を置いておきたくなくて、店主に譲ったのだろうと。
 それなら何故、店主はこの絵を譲ってくれないのだろう。
 一度、幾らなら売ってくれるのかと聞いたことがあった。もしかしたら僕には手の出せないような値段がついているから売り物ではないのと言ったのかと思ったからだ。
 だけど店主は首を横に振るばかりだった。幾ら詰まれてもこの絵は手放すつもりはないと。
 だけどそんなに大切な絵なら、こんな時間によっては日の当たるようなところに飾らない方がいいんじゃないのかとは思ったけど、それで店の奥に絵を仕舞われてしまっては困ると思い、僕はそのことについては何も言わなかった。

 手に入らないと分かると人間どうしても欲しくなるもので。僕はそのうちポラロイドカメラで撮った写真を見るだけでは飽き足らなくなっていた。
 勿論、古本屋で彼女を見ているときは充たされていたのだけれど。
 そんなある日、机を整理していると自由帳が出てきて、僕は思い出した。この写真を手に入れる前は、自分が彼女を描いていたことに。
 そして思った。手に入らないのなら、自分でそっくり同じものを描けばいいんじゃないか、と。
 この世には模写というものがあるらしい。出来のいいものはそれなりの値段で売れたりするとか。あの絵が有名なものであるとは思えないから売れないだろうし、そもそも巧く描けても売るつもりなどないのだけれど。
 そうして僕は、美術部に入ることに決めた。

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